AIはいつ生まれた?ちょっとのぞく歴史の物語

AI使ってる?
AI使いサトシです。
「AI」って、最近ニュースやインターネットでよく見かける言葉ですよね。
なんだか難しそうに感じるかもしれませんが、実は私たちの生活のすぐそばにある、とっても便利な技術なんです。
でも、このAIって、一体いつ、どうやって生まれたのでしょうか?
もしかしたら、「最近急に現れた新しい技術」って思っている人もいるかもしれませんね。
でも実は、AIの歴史は意外と古くて、まるで長い冒険物語みたいに、たくさんの発見や挑戦、そして時には失敗も繰り返しながら、今の形に進んできたのです。
この記事では、AIがまだ夢物語だった時代から、今の私たちにとって身近な存在になるまでの「歴史ものがたり」を一緒にのぞいてみましょう。
難しい言葉はなるべく使わずに、AIがどんな道のりを歩んできたのか、ワクワクするようなエピソードを交えながら紹介していきます。
さあ、AIの歴史探検に出発しましょう!
AI誕生前夜:賢い機械を夢見た天才たち
AI、つまり「人工知能」という言葉が生まれるずっと前から、人々は「人間のように考え、行動する機械」を夢見ていました。
それはまるで、物語に出てくる魔法の道具や、自分で考えて動く人形みたいですね。
昔々の夢物語から科学の問いへ
例えば、17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトは、動物の体はとても複雑な機械のようなものだと考えました。
もちろん、当時はまだコンピューターなんてありませんでしたが、「生命や知能の仕組みを解き明かしたい」という思いは、後のAI研究へとつながる大切な一歩だったと言えるかもしれません。
そして時代は進み、20世紀。ある一人の天才数学者が登場します。
彼の名前はアラン・チューリング。
イギリス出身の彼は、第二次世界大戦中にドイツ軍の暗号を解読する機械の開発に貢献したことでも知られていますが、AIの歴史においても、とてつもなく大きな足跡を残したのです。
機械は考えることができるか?
1950年、チューリングは『計算する機械と知性』という論文を発表しました。
この中で彼は、「機械は考えることができるか?」という、まるでSF小説のような問いを投げかけました。
当時はまだ、コンピューター自体が巨大で、計算することしかできないと思われていた時代。
そんな時に、機械が「考える」なんて、誰も想像もしていなかったかもしれませんね。
でもチューリングは、この問いに真剣に向き合いました。
そして、「機械が人間と区別がつかないほど自然に会話できれば、それは『考えた』と言えるのではないか?」と考え、それを試すためのテストを提案したのです。
これが有名な「チューリングテスト」です。
具体的には、壁の向こうにいる人間と機械の両方と文字で会話をして、どちらが人間でどちらが機械かを見分けられなければ、その機械は知的だ、と判断するというもの。
なんだか、推理ゲームみたいで面白いですよね。
このチューリングの考え方や問いかけが、AIという分野が生まれる大きなきっかけになったのです。
まだ「AI」という名前はありませんでしたが、賢い機械を作るという夢は、この頃から科学者たちの間で少しずつ形になり始めていたのですね。
「AI」誕生と初ブーム!期待と大きな壁
アラン・チューリングが「機械は考えられるか?」という大きな問いを投げかけてから数年後、ついに「AI」という言葉が歴史の舞台に登場します。
そして、賢い機械への期待は一気に高まり、最初のブームがやってくるのです。
「人工知能」という名前の誕生
1956年、アメリカで「ダートマス会議」という研究者たちの集まりが開かれました。この会議の提案書の中で、計算機科学者であり認知科学者でもあるジョン・マッカーシーという人が、「人間のように考える機械」のことを初めて「人工知能(Artificial Intelligence、略してAI)」と名付けました。
この会議をきっかけに、「AI」という言葉と、その研究は世界中の科学者たちに知られるようになり、本格的な研究がスタートしたのです。
第1次AIブーム到来!「推論」と「探索」の時代
1950年代の終わりから1960年代にかけて、AI研究は最初の黄金期を迎えます。
これが「第1次AIブーム」です。
この頃のAI研究の中心は、コンピューターに「推論」と「探索」をさせることでした。
「推論」というのは、すでに知っている情報から、まだ知らない事柄を推測して答えを導き出すことです。
例えば、「AはBである」「BはCである」という情報があれば、「AはCである」とわかりますよね。
こんな風に、論理的に考える力をコンピューターに持たせようとしたのです。
「探索」というのは、迷路を解くように、たくさんの選択肢の中から正解を見つけ出すことです。
例えば、パズルを解いたり、チェスのようなルールがはっきりしたゲームで次の一手を考えたりするプログラムが作られました。
コンピューターがまるで人間のように問題をスルスルと解いていく様子に、当時の人々は「いつか人間と同じように考える機械ができるんじゃないか!」と、ものすごくワクワクしたのです。
おしゃべりAI「イライザ」の登場
この頃には、人と会話ができるAIも登場しました。
1964年から1966年にかけて開発された「ELIZA(イライザ)」というプログラムは、世界初の対話型AI、つまりチャットボットの元祖とも言える存在です。
イライザは、人間が入力した言葉に対して、まるでカウンセラーのように相槌を打ったり、質問を返したりすることができました。
もちろん、本当に人間の言葉の意味を理解していたわけではなくて、あらかじめ決められたパターンで返事をしていただけなのですが、それでも多くの人がイライザとの会話に夢中になり、「機械と心が通じた!」と錯覚する人までいたのです。
期待が大きすぎた?ブームの終わり
しかし、この第1次AIブームは、長くは続きませんでした。
なぜなら、当時のコンピューターの性能や技術では、できることに限界があったからです。
簡単なパズルやゲームは解けても、現実の世界の複雑な問題、例えば、たくさんの要因が絡み合って起こる社会の出来事なんかは、とても解決できませんでした。
それに、イライザのようなおしゃべりAIも、少し複雑な会話になると、すぐにトンチンカンな返事をしてしまうことがわかってきました。
「AIは思ったよりも賢くないのかもしれない…」そんなふうに、人々のAIに対する期待は、少しずつしぼんでいってしまいました。
研究のためのお金も集まりにくくなり、AI研究は一時的に下火になってしまいます。
「AIの冬の時代」なんて呼ばれることもある、ちょっと寂しい時期の始まりですね。
でも、これでAIの物語が終わったわけではありません。
この経験が、次のステップへの大切な教訓になったのです。
AI再挑戦!専門家AIと日本の大きな夢
第1次AIブームが去り、しばらく静かな時期が続いたAI研究ですが、1980年代になると、また新たな光が差し始めます。
これが「第2次AIブーム」です。
今度のAIは、特定分野の専門家みたいに賢くなることを目指しました。
「エキスパートシステム」の登場
このブームの主役となったのが、「エキスパートシステム」と呼ばれるAIです。
これは、特定の専門分野の知識をたくさんコンピューターに覚えさせて、その分野の専門家のように判断やアドバイスができるようにするシステムのことです。
例えば、病気の診断をするお医者さんの知識をAIに教え込めば、患者さんの症状から病名を推測したり、治療法を提案したりできるかもしれない、といった具合ですね。
このエキスパートシステムは、実際にいくつかの分野で実用化され始めました。
例えば、コンピューターの故障診断をしたり、工場で製品の品質をチェックしたりするのに役立ったのです。
第1次AIブームの時は、どんな問題でも解ける万能なAIを目指していましたが、今度は「ある特定の分野なら、人間みたいに詳しいAI」を作ることに成功したのですね。
これにより、AIは再び人々の注目を集めることになったのです。
日本でもAI研究がアツかった!「第五世代コンピュータ」
そしてこの頃、日本でもAI研究がものすごく盛り上がっていたのです。
1982年から、国を挙げての一大プロジェクト「第五世代コンピュータ計画」がスタートしました。
これは、これまでのコンピューターとは全く違う、推論や知識処理を中心とした、まさに「考えるコンピューター」を10年かけて作ろうという、とても野心的な計画でした。
このプロジェクトには、日本中の優秀な研究者や技術者が集結して、世界中から大きな注目を浴びました。
もしこの計画が成功すれば、日本の技術力が世界をリードする!と、国全体が大きな期待を寄せていたのです。
結果として、当初目指していたような革新的なコンピューターを完成させることは難しかったのですが、このプロジェクトを通じて多くの若い研究者が育ち、日本のAI技術の基礎が作られたと言われています。
またしても壁が…知識を入れるのは誰?
エキスパートシステムは確かに画期的でしたが、ここにも大きな課題がありました。
それは、AIに教えるための「知識」を、全部人間が一つ一つコンピューターにわかるように書き込まなければならなかったことです。
例えば、病気を診断するAIを作るなら、お医者さんが持っている膨大な量の知識や経験を、全部コンピューター用のデータに変換して入力する必要がありました。
これはものすごく時間と手間がかかる作業で、しかも、世の中の知識はどんどん新しくなっていくから、終わりがありません。
「AIに知識を与えるのが大変すぎる!」そんな声があちこちで上がり始めました。
せっかく専門家の知識を持たせても、その知識が古くなったり、足りなかったりすると、AIは正しい判断ができなくなってしまいます。
この「知識獲得の壁」とも言える問題にぶつかって、第2次AIブームも、1990年代半ば頃にはだんだんと勢いを失っていったのです。
まるで、あと一歩で頂上に手が届きそうなのに、また分厚い雲に覆われてしまったみたいですね。
でも、この挑戦と失敗の経験も、次の大きなジャンプのための大切な準備期間になったのです。
AI大進化!ネットとデータで開いた新時代
二度のブームと冬の時代を経験したAI。
でも、諦めずに研究を続けてきた人たちの努力と、ある大きな変化のおかげで、2000年代に入ると、ついにAIは本当の意味で大きく花開くことになります。
これが、今も続いている「第3次AIブーム」です。
インターネットとビッグデータという追い風
この第3次AIブームの最大の立役者、それは皆さんも毎日使っている「インターネット」と、そこから生まれる「ビッグデータ」なのです。
インターネットが世界中に普及したことで、ありとあらゆる情報がデジタルデータとして簡単に手に入るようになりました。
写真、動画、文章、ニュース記事、ショッピングの履歴…こうした膨大な量のデータ、つまりビッグデータをAIが使えるようになったことが、決定的な違いを生んだのです。
第2次AIブームの頃は、AIに教える知識を人間が一生懸命入力していましたよね。
でも、ビッグデータがあれば、AIはそこから自分で「学ぶ」ことができるようになったのです。
これは、AIの歴史におけるものすごく大きな進歩だったのです。
AIが自分で学ぶ「機械学習」
ビッグデータを活用してAIが自ら学習する技術、これを「機械学習」と呼びます。
例えば、たくさんの猫の画像と「これは猫です」という情報をAIに見せ続けると、AIはだんだん猫の特徴(耳の形、ひげ、目つきなど)を自分で見つけ出して、新しい画像を見てもそれが猫かどうかを判断できるようになります。
人間が「猫とはこういうものだ」と細かく教えなくても、AIがデータの中からパターンを見つけ出してくれるのです。
この機械学習の技術が進んだことで、AIはさまざまな分野で実用化されるようになりました。
迷惑メールを自動で振り分けたり、ネットショッピングでおすすめ商品を表示したり、クレジットカードの不正利用を見つけたりと、私たちの気づかないところで、実は機械学習を使ったAIがたくさん活躍しているのです。
脳みそみたい?「ディープラーニング」の衝撃
そして、機械学習の中でも特に大きなブレイクスルーとなったのが、「ディープラーニング(深層学習)」という技術です。
これは、人間の脳の神経回路の仕組みをヒントに作られた「ニューラルネットワーク」というものを、さらに多層的に深くした構造を持っています。
ディープラーニングのすごいところは、データの中の何に注目すれば良いか(特徴量)までAI自身が見つけ出せることです。
さっきの猫の例で言うと、機械学習では「耳の形」や「ひげ」といった特徴をある程度人間が教えてあげる必要がありましたが、ディープラーニングなら、AIが大量の猫画像を見るうちに、「どうやらこの部分が猫らしさを決める重要なポイントらしいぞ」と自分で気づいて学習を進めていくのです。
このディープラーニングの登場によって、AIの性能は飛躍的に向上しました。
特に、
画像認識(写真に何が写っているかを見分ける)、
音声認識(人の話している言葉を理解する)、
自然言語処理(文章の意味を理解する)
といった分野では、人間を超えるほどの精度を出すAIも現れてきたのです。
AIはもう、すぐそばにいます!
こうしてAIは、スマートフォンの音声アシスタント(「OK、Google」とか「Hey Siri」でおなじみですね)、自動翻訳、車の自動運転技術、お掃除ロボット、そして最近話題の文章や絵を自動で作ってくれる「生成AI」など、私たちの生活の本当に身近なところで活躍するようになりました。
思えば、アラン・チューリングが「機械は考えることができるか?」と問いかけた時代から、長い長い旅路でしたね。
たくさんの天才たちのひらめき、ワクワクするようなブーム、そしてちょっぴり苦い冬の時代。それら全てがあったからこそ、今のAIがあるのです。
AIの歴史ものがたりは、まだ終わりません。
これからもきっと、私たちをアッと言わせるような新しい進化を遂げて、未来の社会をもっと便利で面白いものにしてくれるはずです。
今度はあなたが、AIと一緒に新しい物語を作る番かもしれませんね!